現実に第二東名(新東名)が完成しても、私は建設反対の意見を変えません
「ここまでできたら、反対しても仕方ないんじゃないの?もう第二東名を作ってしまうしかないんじゃないの?」という問いかけをいただいた。
それへの感想を書きます。
遅くなってすみません。
私が第二東名(新東名)に反対しているのは、いろいろ理由がありますが、箇条書きにすると以下です。
日本国が莫大ない借金をもっているのに、建設に10兆円もの借金をして、通行料で借金の利子程度しか払えず子孫の借金に残るという理由。
しかも少子高齢化で、これ以上の高速道路は無駄になるという理由。
伊勢原の自然環境が好きでそれが壊されたくないという環境的理由。
これからの日本は、高度経済成長的な発想ではなく、農業や市民の普通の暮らしの豊かさを追求していくべきだし、伊勢原の農業や生活は大切にしていかなければならないと思う理由。
そうした理由で反対しています。
これは、途中までできたからとか、そういう理由で変わる話ではない。
上記の私の理由がすべて、間違っていると、誰かが反論して、私が納得すれば、意見を変えるでしょう。
しかし、それ以外の理由で、意見を変えるのはおかしいでしょう。
言論は言論で議論すべきで、現実が変わっても、言論を変える必要はないと思います。
例えば、私の目の前で、ある人がナイフを持って、別の誰かを刺して殺そうとしたら、どんなに寸前になっても「殺すべきでない」という意見を変えてはいけないし、もし、殺してしまったら「殺すべきではなかった」というしかないでしょう。
殺す前は殺人はしてはいけないことだったけど、現実に殺人が起きてしまったから、殺人が正しいことになることはありえないでしょう。
間違いは、現実に実行されても間違いであることに変わりはありません。
だから私は、第二東名(新東名)がもし完成しても、建設反対の意見を変えるつもりはありません。
言い方は「第二東名は作るべきではなかった。作ったのは間違いだった」という言い方になるでしょうが。
言論で私の上記の意見を批判して、私が納得したら、変えるでしょうが、そうでなければ、私は意見を変えません。
第二東名(新東名)建設反対は、そういう意味で、思想の問題といっていいかもしれません。
2007年5月の写真
それへの感想を書きます。
遅くなってすみません。
私が第二東名(新東名)に反対しているのは、いろいろ理由がありますが、箇条書きにすると以下です。
日本国が莫大ない借金をもっているのに、建設に10兆円もの借金をして、通行料で借金の利子程度しか払えず子孫の借金に残るという理由。
しかも少子高齢化で、これ以上の高速道路は無駄になるという理由。
伊勢原の自然環境が好きでそれが壊されたくないという環境的理由。
これからの日本は、高度経済成長的な発想ではなく、農業や市民の普通の暮らしの豊かさを追求していくべきだし、伊勢原の農業や生活は大切にしていかなければならないと思う理由。
そうした理由で反対しています。
これは、途中までできたからとか、そういう理由で変わる話ではない。
上記の私の理由がすべて、間違っていると、誰かが反論して、私が納得すれば、意見を変えるでしょう。
しかし、それ以外の理由で、意見を変えるのはおかしいでしょう。
言論は言論で議論すべきで、現実が変わっても、言論を変える必要はないと思います。
例えば、私の目の前で、ある人がナイフを持って、別の誰かを刺して殺そうとしたら、どんなに寸前になっても「殺すべきでない」という意見を変えてはいけないし、もし、殺してしまったら「殺すべきではなかった」というしかないでしょう。
殺す前は殺人はしてはいけないことだったけど、現実に殺人が起きてしまったから、殺人が正しいことになることはありえないでしょう。
間違いは、現実に実行されても間違いであることに変わりはありません。
だから私は、第二東名(新東名)がもし完成しても、建設反対の意見を変えるつもりはありません。
言い方は「第二東名は作るべきではなかった。作ったのは間違いだった」という言い方になるでしょうが。
言論で私の上記の意見を批判して、私が納得したら、変えるでしょうが、そうでなければ、私は意見を変えません。
第二東名(新東名)建設反対は、そういう意味で、思想の問題といっていいかもしれません。
2007年5月の写真
by chottodainitoumei
| 2014-02-05 19:20